今月はじめ、ふと閃いて三重県に行って来た。
その日の朝、三重県いなべ市の同じ建築仲間の友人のことが閃いて電話。
丁度タイミングよく押しかけて来た。笑
 
あつみ建築
http://atsumi-a.jp
 
同世代ということもあって。なにか気が合う友人。
抱えている課題がけっこう同じであり、今のことやお互いの課題について
びっくりするくらい同じような境遇にあった。
 
お互い!前を向いて歩こう!
何か一人ではないんだという安心感を頂き帰路についた。
 
帰り道、事務所から30分ほど南に行ったところに。
11年前、設計監理をさせていただいた温泉旅館の建築があり寄ってみた。
悲しいかな、今は所有者が変わってこれから何かをされるという話は聞いているが、
現在は空き家状態でした。
 
今だから言えること。
 
相変わらず額は大きいが数億円という建築工事を30代前半でお請けすることになり、
その重大さにあまり焦点をおいてなく、ただ、実績が詰めるというプラスのことだけで
舞い上がっていた。
 
そして簡単に数億円の契約書に設計監理者としてハンコを押してしまった。
今は懐かしい思い出だが、あの当時、耐震偽装問題の姉歯事件があったこともあり、
法律の異常な締め付け、材料不足、人材不足、ゼネコンの見積もりミス、様々なことが重なって、
契約金額の10~20%の負債で軽く億という額は越えてしまっていた。
 
まさかのゼネコンからの責任転嫁というベクトルが個人事務所の僕の元にやってきた。
ゼネコンの顧問弁護士から契約書に印鑑を捺印しているだろ。

「責任は設計事務所の設計図に全てある」旨のFAXが届き、
全額が個人である僕にふりかかりそうになり、血の気の引いた経験をした。

なんで??はじめ意味がわからなかったが、責任者として印鑑を捺印する意味を理解した。
 
あの時、設計者である僕の責任と転嫁されたことに対して。
転嫁返しはしなかった。個人事務所代表である僕がゼネコンの名古屋支店に単独で乗り込んで、
説得交渉に入いれたのは、何か知れぬ真っ直ぐな信念から湧き上がる情熱以外には考えらなかった。
  
敵だらけの中に単独乗り込むなんて今考えるとよくやったもんだ。
あったのは捨て身の強さだけ。あとがない状況で、お前の責任だ!と言われている中、
僕がやったのは客観的な交渉。今の戦いには意味がなく、旅館経営をされる施主にとっての
最善を尽くすことなのではないか?を説いたことを覚えている。
 
そんな矢先、姉歯事件がきっかけで異常に厳しくなった建築基準法の中で、
通常では通るはずの完了検査で不合格となってしまった。
敵であるゼネコンは「ざまぁみろ・笑」的な視線を僕に注いでいた。
 

その時、客観的に見たときにはどうしても負債問題で戦いの中にあったゼネコンの力が必要になり、
よし!とばかりに再び単独で敵の渦中に頭を下げに乗り込んだ。

「あなたち会社の社員3000人のあなたたちの力を貸してください!」
 
びっくりはされていたが、
貸していただく人と技術は内の事務所が費用を持つということで一時停戦となって、
その日から3000人の知恵と経験が僕の元にやってきた。

次の日から毎日、県の役所にゼネコンの技術者20人を引き連れて
役所の担当者もびっくりするくらいの行脚が始まって、なんとか1ヶ月通い
完了検査をクリアする方法を県からもらうことができ、
オープンの1週間前に完了検査合格をいただくことができた。
 
ゼネコンから不可能って言われて来たことが実現できたことの安堵と、
ご協力くださった人たちの心にし尽くせない感謝の念を持たせてもらい僕の経験の一つとなった。
  
結果的に組織としてではなく、昨日の敵は今日の友となって最後は戦友になっていた。
結果的に内の事務所が持つといった費用はチャラにしてくださった。

そして一時休戦となっていた負債問題は後日再びはじまることとして、
とりあえずは、お疲れ様。ということで、しばしの休暇に入った。
  
オープンも無事に終わり、落ち着いた一ヶ月後に一時休戦も解除して再び負債問題に対して
向き合おうとしていた矢先に、施主の社長から電話をいただいた。

もう解決したよ。とのこと?

施主とゼネコンと話し合い、施主・ゼネコン・設計事務所の3者で痛み分けということになったとのこと。
つまり内の事務所で1億ちょっとの1/3を負担ってことに。
でもそれは「あなた個人に負担させるわけにはいかない」という社長の計らいで、
社長が2/3を負担するということで終わったのでした。つまり僕のところはゼロ円ということに。
 
あの当時、たくさんのことを学ばせていただいた。
僕が思ってた信念や誠意を貫くことで、やはり良かったんだ。
 
すべては人様のおかげであって。
失敗した時は自分のせいであり、うまくいったり成功した時は人様のおかげさまなんだということ。
 
身をもって有り難く経験させていただいたことを今月はじめに思い出しました。
 
大人になって感じるのは、問題の大元は「お金」についてがほんとに多い。
仕事をしていると特に感じます。たかが「お金」に必死になって、自分は損しない!ために
全力をかけている姿がなんかいつもマンガみたいに思えてくる。

それよりも大切なことがもっとあるということを知ることができたら、
つまらない、お金の勝ち負け競争から一歩抜けることができるのではないだろうか。
 
一時の勝ち負けで得をしたとしても、
そんなの一時的なこと「続く」ということからは遠のいていく気がする。
 
当時、僕より2回り上の親世代のプロデューサーと呼ばれる肩書きの人たちは、
こぞって自分には責任はない!と逃げていったことが印象的でした。
追い込まれた時の腹を括れない大人の本当の姿にがっかりしたことを思い出す。
 
あれだけ崖っぷちの渦中にいたことも。先日の空っぽの建築を真に当たりにして、
なんだったんだ?!笑。とさえ思ってしまった。
 
でも一つだけ。どんなことも前向きに誠実に対応するってことだけは経験からも
とても大切すぎることだと今も思うし、今あるのもあの経験があったからと思う。
 
ほんとありがたく。
すべてありがたい。
 
どうしてるだろう?あの時、共に戦ったゼネコンの戦友たち。
懐かしいな、あの当時、戦いの敵同士だったゼネコンの建築部長に最後に言われた言葉を思い出す。

途中、敵同士いろいろあったけれど。
この経験で建築を嫌いになって辞めずに続けてほしい。
組織としてではなく、個人の人ととしてのあたたかい言葉だった。
 
もちろんヤメるつもりは今もありません。
  
ですが方向は変えます。一人一人の希望要望という欲をお金もないのに聞いていると限りがありません。
どんな商品でもオーダーメイドは高くつきます。
労力が一点に集中するので当然です。
ですが悲しいかな建築という仕事はその労力に見合う報酬をいただけてない気がします。
だれが?つくったか工事費の10%という基準では完璧にその人の欲を満足させるのは無理です。
ましてや、その資金もないのに実現なんて尚更無理。
 
今までの僕は、それらお金のない現場(ほとんどがそう)で、
何とか!してあげたい!という気持ちで動いて来ました。
でもね、その気持ちが僕自身のエゴだってことに気づきました。
 
お金がないのにも理由があります。
その人のお金に対する考え方、在り方、捉え方がその通りの結果になっているにすぎないってこと。
つまり原因を変えずして、大きな額も扱ったことがないのに大きな金額を借り入れして
実現しようとする。そんなの誰かに歪みが来るに決まってます。概ね我々工事関係者に。
 
だったら、そういう仕事の請け方と方法は辞めました。
この春から新しく始まる未来に僕は全力をかけていきます。
ほんとうにこの春以降もご依頼してくださった皆様申し訳ございません!
自分のために自分時間を最大優先させていただきます。ありがとうございます!

 

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