ちゅんちゅんちゅん。

下鴨亭の吹抜け上部の欄間窓を開けっ放しにしてるからか。
野鳥が毎日、ぱたぱた〜入ってきてくれる。

そんなつもりはなかったけれど、僕がいても怖がることもなく。
あまりにも自然に同調して、其処に居てくれる。

お名前は?。スズメちゃん!?じゃないね〜君。
調べてみると「ジョウビタキ」さん。

厨房にちょこん。
家になついた子ネコのように、ちょこんと座っている。

不思議だ。

世界は変わろうとしている。
僕が変わってきたのだろうか?。

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「縄文性」
 
 
それは母なる森と海に身をゆだね、自然から全く分離していない感性。
自然と差の無い心。
宇宙そのものの心。
空なる器。
いつの時代でも日本人は、その空なる器に外来の全てを受け入れ、
混ぜ合わせて、新しくいのちを与えてきた。
それは、空なる器、縄文の心がベースにあったからこそ
成されたユニークな歴史なのだ。
「有」であることがアイデンティティーであるというあり方に対して、
一見なにも無いようで分かりにくいが、
「空」なる器というところに、アイデンティティーを自覚した時、
日本人は本当の自信を持つことが出来るのではないだろうか。
空なるルネッサンスが始まるかもしれない。
 
真砂秀朗「畔道じかん」より

 
「空なる器」
 
この時代、とても大切なキーワードだ。
在るがままに、流るるままに、成るがままに。