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現実と呼ばれている今の世界と
長年伝統として受け継がれてきた世界。

どちらが実で
どちらが虚なのだろうか。



どちらがどうということではなく。
どちらも実である。

対極にあるが相反するものではなく。
分離するではなく統合する一つのものなのだ。

千年という節目のこれら法要に関われることが
不思議でもあり嬉しいものでもあります。

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三日目の大原の里の夕暮れがなにか懐かしく
縁の不思議の中、此処に辿り着いたようだ。

一年前、半年前、ひと月前、一週間前、昨日と、
まったく予想できなかった「今」があるような氣がする。

「決める」ことは今へとつながること。
「決める」ことが生きることでもあり、その連続が「今」になっている。

ところが「決めすぎて」先の先のことのレールを敷きすぎて思い通りに回りをコントロールしようと逆に自分の枠に苦しむこともよくある話だ。

描いた通りに進めようと「なければ」に切り替わった瞬間、楽しさよりも苦しさの方が増してくる。そして回りのせいにしだした瞬間、自由も奪われてゆく。

自由に生きるとは回りのせいにせず。
自分への信頼と責任を軸にした精神の自由さのことを云うのではないだろうか。

だったら、もっと自分自身に自由になってみよう!。
そんなことがあたまを霞めた。

黄昏れと実光院さんの庭の長老の柿ノ樹と重なり
更にその美しさを増していた。

今日もよい一日を。

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