「給料日」がなくなって
16年くらいの時が過ぎただろうか。

所属する会社、行政、事務所、いろいろ。
月末の25日や31日の日に自身の口座に振り込まれるお給料。
そして家賃であったり、買った家のローン返済だったり、光熱費、携帯通話料、カード決済。
契約通りの日に見事に引き落とされ、残ったお金がその次の月の暮らしの基にかわっていく。

皆それらを計算しながら、子の将来のことであったり、個人の趣味であったり、
家族の娯楽であったり、投資であったり、どこかに出掛けたり、何か買ったりと
不規則に約30日毎(グレゴリオ暦による31日、30日、28日)のサイクルが続いていく。

歳入(入金)があり
歳出(支払)がある。

入るお金と出ていくお金のバランスがあって、
出て行く方が少なければ黒字になって、出て行く方が多ければ赤字となる。
それは家族単位も組織(会社、行政、事務所、ETC..)も町も県も国もすべて同じである。

つまり黒字にならないと成り立たない続かない
とてもとてもあたり前のこと。



お金って何だろうね。

この世で生きていくためには欠かせないもの?。
大人になるとこのお金を得るため「仕事」をするようになり時間の大半を費やすこととなる。
欠かせないものではあるけれど実は単なるツール。

そんなツールに人生を左右されたり
たいていの大人間で起こるトラブルは、このお金が関わっていることが多い。
そして身動きがとれなくなってしまうこともあったりする、使い方、関わり方をちょっと
間違えたら怖い‥諸刃の剣。

お金の関わり方、考え方は、お金のやり取りで隠していても隠しきれなくなって
本性が出てしまうもの。額が大きくなればなるほど‥。


きっとこのお金の本質をしっかり腑に落ちるまで
少なからず知識として理解しておくことって実はとても大切なことなのだと思う。


「給料日」がなくなる生き方をして16年の月日が経ちました。
「給料日」がなくなっても、ちゃんと、なんとかなっています。

そしてこれからもちゃんと続いていきます。


その訳を、
もしかしたらお金が原因で少なからず不安で押しつぶされそうな人がいるとしたら
ちょっとしたヒントになったらなんて思ったり、でも、ならなくても全然よかったり、
どっちでもいいか!というのがほんとかな。


客観的に自分も含め世の中全体を見てみると、とてもおもしろいことに氣がつきます。
2012年があと少しで終わるこの時期になって、ものすごく分かりやすい時代になりました。


大人になると時間の大半をに費やすようになる「仕事」。
そんな「仕事」を誰もが楽しくしあわせに出来たらば、どんなに嬉しく素敵だろう。

そうなりたいと思っている人も圧倒的に多いはずです。
誰も敢えて苦しみ辛く嫌でも頑張らなければならない環境にいきたいはずはないのでは?。

だけど人によっては
何故にそうなってしまうのか。

客観的にすべてを見た時に感じるのは、まず楽しむ以前に
当然プロとして報酬をいただく最低限のスキル(技術)を身につけていない人。
自分で切り開く!というよりも、何処か誰かに頼り「自分に安心を与えてほしい」と。

「○○してほしい」

が、まず先にあって
「得よう、得よう」「与えてくれ、与えてくれ」が基本になってしまっている人。

これね完全に逆なんだよ。

それに自由業の世界でスキル(技術や資格)も提供出来るものもないのに
プロとして独立しています。と云ったところで成り立つわけがない。


スキルがないのに仕事を得て報酬をいただける有り難い環境って。会社に就職でき
成長させてもらえる「社員」という境遇ぐらいしかないのではないだろうか。

だいたい経営者から見た時に現場で即戦力にならない新入社員を失敗を重ねながらも
保護者のように一人前になるまで面倒を見てくれるなんて観音様のような存在ですよ。

有り難いったらありゃしない。

ところがどうだ。
在ることよりも次に無いこと探しに没頭して「あれしてくれない。こうしてくれない」と
不平不満を増幅させてしまい要求ばかりをする人。
そしてあれこれ文句を云って学んだスキルを基に簡単に退職してしまう。

あると思ったスキルも自分よがりな思い込みと思い上がりで、仕事を依頼された
としても直ぐにボロが出てしまうものだ。(今年はたくさんそんな人に会ってしまった)


この秋にプロ野球の球団オーナーでもある
誰もが知っている大きなIT企業の役員ということもあり時折、人事担当をしている友人と
話す機会があった。転職希望で面接にやってくる人の中で
前職の会社の悪口、不平不満、などなどを話す人はまず採用しないのだそうだ。

その人を仮に採用したとしよう。
すると、同じく「あれしてくれない。こうしてくれない」と。
無いこと探し満たされない探しが得意なので、確実にそれらを増幅させてしまうらしい。

会社としても人として「いい人」を採用したいので
まず、そういう問題になりそうな人は採用面接に受かることはないのだそうだ。

なるほど。
よくわかる。

この60年くらいの戦後の歴史を振り返ると「仕事」をするとは、
いい教育を受けていい大学に入り少しでも「お給料の多い」いい会社に就職をすることを
最大の目的として日々学ぶ。そう学校では教えられてきたのではないか。


果たしてほんとにそれでいいのか?。ほんとにそれが生きることか?
疑問を持った少数の人は自分の道を切り開いていく方を選択して、
そりゃ苦しい辛い時もあったはず。だけど止めずに続けていく内にスキルは磨かれて
誰にもできない何かを身につけ、世の中の動きに翻弄されることなく
しっかり地に足をつけて歩いていける凛とした軸が通った存在の素敵な人になっている。
僕にはそんな友がたくさんいます。これは誇るべき財産です。

圧倒的な少数派かもしれないけれど、
友は、こんな不景気と呼ばれている世にあってキラキラっ輝いている。
そんな人たちに囲まれていて嬉しいとほんと思う。
ありがとうございます!ですよ。


一人でも多く自分自身を好きになってキラキラっ輝いてほしいな、と願いつつも
それはその人が自分でそうなっていくしかない。ということもよくわかりました。

なので自力でなんとかなってもらうしかない。
僕が依存先になって何とかしよう!なんて思ってたこと自体、僕の奢りでした・笑。
えへへへ。

そんなことがしっくり来た年末です。
長くなりそうなので「続く」とします。

「続く」