秋の連休の最終日。

気持ち良い青空が広がる一日でした。
40年前に高野山に来られ御歳八十を越えられた老僧。
そう自己紹介をされておられたニチャン・リンポチェ。

仏門の世界においてどれだけの位置におられるのかは僕はよく分からないけれども、
紡ぎ出される言葉一つ一つに謙虚さが垣間みれて、
ただの人ではないことを感じることはでき、
でもただの人なんだと云う人間くささを素のまま話されている姿がとても印象的でした。

チベット02

チベット01

チベット03

死後の世界観の仕組みについては、ふむふむ、なるほど。
そういう考え方もあるのだろうな。と一つの教義として興味深くもありましたが、
仕組みをどれだけ知識として詳しく知ったとしても根本の問題解決にはならないので
それはそれといった印象です。

それ以上に後半のある方の質問にぐっと引込まれました。

「死んだあとにある地獄世界には
 門番のような閻魔大王や苦悩を与える鬼たちはいるのでしょうか?」

「それは自身の恐怖や不安がつくりだしているのです。
 つまり思い描いたイメージ通りにしかならないということ。
 地獄に対する恐怖がある限りその通りになる。ただそれだけなのです。」


深いな‥‥その通りです。
現実と云われる今生の世界においても同じ。
恐怖や不安の通りの投影された世界を見せてもらうってだけのこと。
それを「現実」と呼んでいる。
そのトリックに氣づくことができたならば、
実はまた違う世界が広がっていることを知ることになるのですよね。

どうせならば、恐怖や不安で心の中を増幅させるのではなく、
他者との違いや思い通りにならない苛立ちを募らせるのでもなく。
あはははっと笑い転げてしあわせな心で居続けることの方が〜☆
どれだけ素敵にしあわせだろう。


「心の平和」ダライラマ法王の言葉を思い出しました。

他者の幸せを大切にすればするほど、私たち自身の幸せへの意識も深まってきます。
他者へのあたたかい親近感が深まれば、自然に自分の心も休まってくるものです。
その気持ちは、どんな怖れや不安を抱いていても、それを取り除く手助けとなり、
直面する障害と闘う力を与えてくれます。
これが人生における究極的な成功の源となるのです。

本当の世界平和は、
心の中に育まれたひとりひとりの「心の平和」によって築かれるべきものであり、
そのために愛と慈悲の心、つまり「やさしさと思いやり」が必要とされているのです。

ダライ・ラマ(心の平和:サンマーク出版より)



そして最後、愛知から来られた方が質問された問い
「現在の中国とチベットの関係において
 日本に居る私たちにできることはなんでしょうか?」

「決して中国を非難批判してはいけません。
 責任はチベットの民にもあるのです。
 長い長い刻、前世のまた前世の業(カルマ - 仏教の基本概念)を背負ってのこと。
 解消できる日が必ず来ます。」


一元的な事象を一方向から捉え判断するのではなく。
長い長く深い視野で多次元的に捉えられている一時の感情から解き放たれている
言葉だと感じました。さすがは四十年前にダライラマ法王の派遣された方。

参りました。

そしてやはり人には上も下もなし。
みんな一緒。
違うと云えばお役目と背負っているものが違うだけなんだろうな。
結局は自身とのたたかいでしかない。
外に答えはなく自身の中にすべて在るということ。
「戦う」とは自分自身に打ち勝つことなのかもしれない。

恨みや妬みを増幅しないまでも、
すべてにおいて外の回りのせいにしている限り実は何も変わらない。

その変わらないということを知るためにも、
ぐるぐる回り続ける時間も決して無駄ではない
其の人にとって必要なことなのでしょうけどね。