先週の木曜日。

若狭小浜の祖母が91歳の老衰により他界しました。
かれこれ8年ばかり寝たきりでヘルパーさんのお世話になっていて
小兵衛亭に来られた人は離れの祖母のことは知ってもらっていたことと思います。

8年前に寝たきりなった訳は、
娘であり、僕にとっては母が50代で他界したことのショックから
一気に元気がなくなっていったことは記憶しています。

母の葬儀の時に
曲がった腰で叔父や叔母たちに抱えられながらやって来てくれた時の印象が
今でも忘れられません。
思い出すだけで涙が溢れます‥。

この世に生を受け
長い人生を生きてきた中で(当時祖母は82歳)こんなに辛いことはない‥。
娘の永眠した姿を見て‥‥それこそ号泣していた姿が今でも僕の脳裏にはっきりと
刻まれています。

同じ年の二月前に夫である僕にとっての祖父を亡くしたばかりの二重のショック。
あれから9年の月日が流れてゆきました。

僕自身もこの9年という月日。
いろいろなことがありました。
嬉しいことも胸が張り裂けそうな辛いことも‥、

でもすべては必然。
そういつもとらえているので、どっちに転がったとしても
そういうことなのだ。
常にほんと常にそう考えます。
なのでどんなことがあっても、一瞬落ち込むことがあったとしても
氣がつくと前を向いてしっかり歩いている自分がいます。
誉めてあげたいくらいに。


祖母の話を少し。

今から73年前のこと。
同じ若狭地方の鯖街道の途中にある宿場町、熊川宿。
ここの造り酒家の逸見家が祖母の実家です。
観光地の中心にある逸見勘兵衛邸が正にそう。

「おしん」のようなでっち奉公がまだ生きていた時代。
造り酒家から小浜の造り酒家、吉岡小兵衛家へ嫁いで来たのは18歳の頃のこと。

今では車で20分ほどで着いてしまう距離ですが、
里を離れるということは、ほんと外国に行くかのような気持ちでいて、
辛くても帰れない日々を過ごしたのだそうです。

封建社会がまだのこっている当時。
話に聞くところ、そりゃ酷い扱いだったと‥悲しくなるようなことを今回葬儀の後
親戚の人たちに聞きました。

なるほど‥、
あれだけ腰が曲がるまで‥。

それでも祖母は謙虚に愛をもって皆に接して来られたことが
小さな村の葬儀にあれだけたくさんの人たちが別れを惜しんで来てくださったのだ、と。
孫の1人としてほんとに嬉しい‥。

「恨まれても恨んではいけないよ。必ず自分にかえってくるから」

僕は器用な方なので
ほんとに不器用で一歩一歩、のろりのろり進む祖母を見てもどかしい時もあったけれど
僕なんかよりも、ずっとこの世の本質をしっかり分かっておられました。

そして造り酒家という商いの世界に飛び込み。
ほんといつも誰に対してもニコニコ与える人でした。

だからこそ。
見返りなんて求めていないからこそ。
商いもずっと続いています。

こういうことなんだよな。
続けるってことは。

目先の利益を求めよう求めようとしてしまう世の中。
でもだけど、都会から遠く離れた辺境の小さな里山に、
しっかり今も日本人の心が息づいています。

ほんとに大切なこと。
たくさんたくさん、生き様をとおして教えていただきました。
ばあちゃん、長い間ありがとう。

おかんによろしくっ。
僕は僕の次の章へと進みます。

急激に暑くなった里山の夕暮れ、
ふわりやさしい風が吹いていました‥。

こへいの庭