あの世とこの世の距離が近い町。

「京都」

先日友に、ある作家さんの言葉を教えてもらいました。
なるほど云われればその通りだ。

京都に生まれ、ずっと住んでいる人は分かりにくいかもしれないけれど
僕みたいに後から住んでいる者にとっては、その感覚がなんとなくわかるような気がする。


感覚が敏感で、ちょっとした氣を感じてしまうためか、
良いことは良いのだけれど、そうでないことも時々受けてしまい
京都にずっと滞在できない不思議な何かが昔からあります。

そわそわしていくる、と云ったらよいのかな?
どうにも離れたくなってしまう。
現場があちこちにあるのは好都合♪とばかりに出掛けては、
心を切り替えています。


理屈ではよく分かっているつもりのこの世の仕組みも
いざ自身のこととなると、ぐらんぐらん〜揺れ動くことがあるから‥困ったものです。

ま、でも、この三次元世界を生きるひとりの人間なのだから
きっとそういうものなんでしょう。


そんな揺れ動くことも永遠につづくわけでもなく
時が経てば時が解決してくれているように、なにごともなかったように過去の経験の
一つとして積み重ねられてゆく。


おもしろい。
過去となった出来事は、過去に観た映画のように、いや同じように
心の記憶の中に刻まれてゆく‥。


この世とあの世。
どっちが実で、どっちが虚なのか。
きっとどっちも実なのだろう。


今週の金曜日の夕刻。
京都から北へ75km行った日本海を望む小さな港町、生まれ故郷の若狭神宮寺にて。

「お水送り」の神事が執り行なわれます。

あまり知られていない。
里山に1300年続く神事‥。
あの世とこの世の距離が更に近づく不思議な幽玄の世界‥。

自身の中のなにかが、
必然としてのなにかが閃いたならば、ご一緒しましょ。

午後5時頃、本堂前広場集合です。


2011_お水送り1

2011_お水送り2

2011_お水送り3

2011_お水送り6

2011_お水送り7

2011_お水送り8

2011_お水送り10

2011_お水送り12