なんだか、なんとも。
ここ最近、立て込み過ぎていたスケジュールから少しづつ
解放されてきている感があります。

うれしい限りです。
追われるとやっぱりよくないね・笑。


先週末から長野に行っていました。
なにをするわけでもない
なにもしない時間と友の存在に癒され
ただなにも考えずにゆらりゆらゆらふんわり時が流れていました。
nちゃんありがと。

あ、長野での
CHOCONの家の改装案も同時にまとまり工事段取りも終えましたよ。

そしてあたらしい沢山の出逢いもいただき
おもしろいです。
ありがとうございます。


たくさんの依頼をいただいてること自体は
ほんとにありがとうございます!です。
だけど万全な気持ちで心を込めて提案しないと失礼になってしまうので
それら無理をしてそうなるよう提案にもっていっているところがあったかな。

なので結果的にはちゃんと提案できてたとしても。
その無理自体の歪みそのものが自身に一気にきて‥
後から苦しくなっている自分が居ることに気づきます‥。

よくないね。

ちょうど良い機会なので
ちょっと切り替えます。

単純な話。
僕が僕の建築をつくる設計を心から求めてくださっているのか、
そうでないのか、ただそれだけなのだと分かりました。

もちろん現在の仕事の大半はそうなのだけど
なんて云うか、そうではないケースもあったかな。

下請け的な仕事のながれや
代表の方は純粋な気持ちで依頼してくださっても
現場のスタッフさんの方はそうではなく仕方なくトップの云うことだから、
とかのながれとか。

結果が見えているよね。


たくさん実現したい企画やいろいろありすぎて☆笑。
心の余裕がないとまとめあげる気持ちにどうしてもなれず‥、
ここ一年、思いつきだけでそのまま放置していることもよくありました。

生は永遠に在る訳ではなく
この一生に中では誰もが限られたものであります。


いずれ時が経てば自然に誰もが死を迎えます。
だけど多くの人は人生はずっと続くと思っているのではないかな。

現代社会において
死生観そのものの意識は遠くなっているところがあるけれど、
必ずその日は確実に訪れます。

そういう意味でも死の先のその後の世界について
知ることは今を生きる上でも、とっても軸がはっきりします。

多次元的な視野とでも云うのかな、
あらゆる方向からの視点でものごとをしっかり捉え、今の位置を確かめることは
僕自身も今を生きる上でとっても役に立っています。

さて
話を戻します。

限られた時の中であるのであれば、
今、これをやるべきなのか?。

それをじっくり自身に問いかけてみると、
はっきり答えが見えてきます。

しがらみや利用しようなどという視点からの依頼ではなく。
心から純粋に依頼してくださることについては、
心の写し鏡のまま、お役目として心を込めて仕事をまっとうさせていただきます。

そうでない場合は今後はお断りさせていただくことにします。
言葉をどれだけつくっても‥心の底が二言三言でわかります。
ごめんなさい。

そんな気持ちです。

はっきりしました。
どうもありがとうございます♪。