GWも終わりましたね。
普通の日常が戻ってきました。
この1週間、一つ前の日記の反響が大きく。
直接電話をいただいたり、メールをくださったり、記事のコメントをしてくださったり
いろいろ、いろいろ。ほんとに、ありがとうございました。
総括しまして
お客さんにも、出店者さんにも、これから来られる人にも知ってもらいたいので
ありがとうの気持ちと未来を気持ちよく迎えるにあたって書き記したいと思います。
勇気がいること。
感じたままを公でコメントしてくださったみなさんに
改めて、ありがとうございますの気持ちです。
いろいろな意見はありますが
僕は犯人探しをしたいわけではありません。
子連れがダメだとか、そんなことを言ってるのでもありません。
そして誰が悪くて誰が正しいかなんて決めたいのでもありません。
そういう判断は必要ないからです。
起こっている現れている事象は、すべて自身のこころの反映。
「無秩序で混沌」
こう表現しましたが、誰がそういうふうにした。ではなく。
みんなの意識、こころの総合計がそういう場をつくってしまった。
つまりそうなったのは結果なのです。
初めて来られる人、それも一人で来られる人にとって
なにがあるんだろう?どんな場所だろう?。
出逢いの期待感や、まだ見ぬ世界へ一歩踏み入れる楽しみ感を持って来られれば尚更、
身内の盛り上がり、お店に人が立っていないなどなど。
なにか入りにくい違和感を感じられたのではないかと思います。
身内の内輪の盛り上がり。
時にたのしくて、うれしくて、しあわせな時間です。
気を抜きまくってゆるゆるの空気の中でとけてしまうようです。
そんな場になれているなら嬉しい限り。
ところが、みんな忘れてはいけないのは、この日は
気の合った仲間の飲み会でも、お茶会でも、同窓会でも、忘年会でもないのです。
商店街、お店の集まりなのです。
大切な貴重な材料をこころを込め時間をかけてつくった大切な商品や作品たち。
それらを来てくださった方からお金をいただいて「買う・売る」の関係ができあがる。
この構図が出来た時点で誰もがプロなのです。
僕たちのやっている「いちにち商店街」は、
お店をやったことのある持っているプロさんだけではなく、これから、お店をしたい。
お店はしないかもしれないけど、手づくりのものをちょこっとだけ世に出してみたい。
世間でいう素人さんもいらっしゃいます。
でもね。
経験値としては素人さんでも、その関係「買う・売る」が成り立った時点でプロです。
プロとして見られます、の方が正解かな。
こころを込めてつくった食べものであったり、お茶であったり、ものであったりを
こころを込めて提供する♪。
きっと。
初めてだった素人さんと呼ばれてた時の方が緊張していたり。
プロ意識、責任感みたいなものがしっかり根付いていたのではないかな。
段々慣れてくると
なぁなぁ〜の関係とでも言うのかな、初心を忘れて力を抜き過ぎてしまう‥。
それは僕だってやってしまう可能性をもっています。
そこを客観的に意識をしっかり持つ。
プロとしての意識をしっかり地に足をつけることで「遊び」とよばれる楽しいことを
こころ一杯たのしんでいけます。
ちょこんHOUSEなんて、たのしみからしか生まれません。
すべてはバランス。
そのバランス感覚を保ちながら意識、調和しながら、ゆらゆら力を抜いていく。
意識をもった力の抜き方、まったく違う世界が広がりますよ。
いちにちに関わってくださる、みなさんは
ほんと僕にはもったいないくらい素敵にキラキラしています。
僕ひとりでは絶対に叶わなかった世界が実現できている不思議な縁、感謝しています。
遠くからまだ友人もいない人が
期待に胸をおどらせ訪れたとき、やっぱり「来て良かった♪」。
どうせなら、そう思ってもらいたいですもんね。
それだけのポテンシャルを持ってると僕は思っています。
まず出店者の意識がしっかり地に足をついていくと、それが空間と相乗効果でひろがって
お客さんとして来てくださる人たちにも伝わっていくのではないかな。
そして結果的にすべてが、しあわせでたのしい時と場所になっている。
僕が一番伝えたかったのはここ。
「ひとりひとりの意識が世界をつくっていく」
ただそれだけです。
ありがとうございます。
おしまい。
普通の日常が戻ってきました。
この1週間、一つ前の日記の反響が大きく。
直接電話をいただいたり、メールをくださったり、記事のコメントをしてくださったり
いろいろ、いろいろ。ほんとに、ありがとうございました。
総括しまして
お客さんにも、出店者さんにも、これから来られる人にも知ってもらいたいので
ありがとうの気持ちと未来を気持ちよく迎えるにあたって書き記したいと思います。
勇気がいること。
感じたままを公でコメントしてくださったみなさんに
改めて、ありがとうございますの気持ちです。
いろいろな意見はありますが
僕は犯人探しをしたいわけではありません。
子連れがダメだとか、そんなことを言ってるのでもありません。
そして誰が悪くて誰が正しいかなんて決めたいのでもありません。
そういう判断は必要ないからです。
起こっている現れている事象は、すべて自身のこころの反映。
「無秩序で混沌」
こう表現しましたが、誰がそういうふうにした。ではなく。
みんなの意識、こころの総合計がそういう場をつくってしまった。
つまりそうなったのは結果なのです。
初めて来られる人、それも一人で来られる人にとって
なにがあるんだろう?どんな場所だろう?。
出逢いの期待感や、まだ見ぬ世界へ一歩踏み入れる楽しみ感を持って来られれば尚更、
身内の盛り上がり、お店に人が立っていないなどなど。
なにか入りにくい違和感を感じられたのではないかと思います。
身内の内輪の盛り上がり。
時にたのしくて、うれしくて、しあわせな時間です。
気を抜きまくってゆるゆるの空気の中でとけてしまうようです。
そんな場になれているなら嬉しい限り。
ところが、みんな忘れてはいけないのは、この日は
気の合った仲間の飲み会でも、お茶会でも、同窓会でも、忘年会でもないのです。
商店街、お店の集まりなのです。
大切な貴重な材料をこころを込め時間をかけてつくった大切な商品や作品たち。
それらを来てくださった方からお金をいただいて「買う・売る」の関係ができあがる。
この構図が出来た時点で誰もがプロなのです。
僕たちのやっている「いちにち商店街」は、
お店をやったことのある持っているプロさんだけではなく、これから、お店をしたい。
お店はしないかもしれないけど、手づくりのものをちょこっとだけ世に出してみたい。
世間でいう素人さんもいらっしゃいます。
でもね。
経験値としては素人さんでも、その関係「買う・売る」が成り立った時点でプロです。
プロとして見られます、の方が正解かな。
こころを込めてつくった食べものであったり、お茶であったり、ものであったりを
こころを込めて提供する♪。
きっと。
初めてだった素人さんと呼ばれてた時の方が緊張していたり。
プロ意識、責任感みたいなものがしっかり根付いていたのではないかな。
段々慣れてくると
なぁなぁ〜の関係とでも言うのかな、初心を忘れて力を抜き過ぎてしまう‥。
それは僕だってやってしまう可能性をもっています。
そこを客観的に意識をしっかり持つ。
プロとしての意識をしっかり地に足をつけることで「遊び」とよばれる楽しいことを
こころ一杯たのしんでいけます。
ちょこんHOUSEなんて、たのしみからしか生まれません。
すべてはバランス。
そのバランス感覚を保ちながら意識、調和しながら、ゆらゆら力を抜いていく。
意識をもった力の抜き方、まったく違う世界が広がりますよ。
いちにちに関わってくださる、みなさんは
ほんと僕にはもったいないくらい素敵にキラキラしています。
僕ひとりでは絶対に叶わなかった世界が実現できている不思議な縁、感謝しています。
遠くからまだ友人もいない人が
期待に胸をおどらせ訪れたとき、やっぱり「来て良かった♪」。
どうせなら、そう思ってもらいたいですもんね。
それだけのポテンシャルを持ってると僕は思っています。
まず出店者の意識がしっかり地に足をついていくと、それが空間と相乗効果でひろがって
お客さんとして来てくださる人たちにも伝わっていくのではないかな。
そして結果的にすべてが、しあわせでたのしい時と場所になっている。
僕が一番伝えたかったのはここ。
「ひとりひとりの意識が世界をつくっていく」
ただそれだけです。
ありがとうございます。
おしまい。
コメント
コメント一覧 (4)
出店者さんは、チョットの言葉で解りますが・・・
お金を出す「お客様」これが現在難しいですね
家を建てる人は、我儘だと思えば断れば済みます。
商店ではそれは難しい
玄関先で返すわけにもいきません
我々も、仕事をさせていただきながら・・遊ぶ・・と
よく言います。
ここでの・・遊ぶ。・・
これは、プロ根性むき出し
良い仕事をするということです。
まだ覗いたことは有りませんが
多分、親の????と思います。
自由=なんでもOKではないと思います。
こまったちゃんはそうですね〜世界中☆。
どっちかに偏るのではなく
きっと両者、多種多様にすべては存在していますね。
ここ数年はその両者同士が合わなくなってきた。
二極化していきたと感じています。
おもしろいですね。
顔の見える大切さを気づかされます。
もっともっと謙虚になろうと思います。
誰かのせいにして、誰かを追い詰めて、追放するのは簡単だけど、全てを受け入れて、一緒にやっていくことの難しさと素晴らしさ
人との出会いで教えていただきました。
そんな場を体現してくださって、ありがとうございます。
シマノキヨミ
そう相手は自身を映し出す鏡。
今、自分のまわりにいてくれる5人を見れば自身がわかる。
そう言いますもんね。
正義とは一体なんでしょう。
捉え方で同じことでも180度違う世界が見えてしまう。
一方の正義が相手を違うと捉えてしまう。
つまり違う分離された別々の存在として考えることが
民族紛争、宗教戦争、国家間の対立、目の前にある人との相違を
生み出してしまうのではないかな。
正義なんてどっちでも良くて。
どっちが正しいなんて決める必要はまったくないように思います。
相手は相手、自分は自分、自然のままに距離をとっていく。
波長が違うのであれば、距離をおくことが自然だし問題も起こらない。
自然ではなく理を無くす、無理をして相手を変えようとか
相手に近づこうとか、我をフル稼働した時に問題は確かに確実に、
おこっていくように思います。
どっちでもよい。
ニュートラルであること。
僕のここ数年のテーマです。