暑かった夏もいつの間にか終わり秋も更に色濃くなり深く自身を見つめるのにも丁度良い季節になりました。
ずっとデザインの仕事をしていて何となく思い感じてたことに「閃き」とは何なのか?ということがあります。建築をはじめ家具やいろいろなデザインの仕事で共通することは全て「無」から「有」へと導いていくことにあります。そこにある自身の想像からの「閃き」フッと突然現れて創造され具現化していく様をずっと不思議に感じて見ていて、そのバランス感覚が感性と呼ばれて、有り難いことにいつの日からかそれがプロとしての仕事になっています。導き出す結果としてのデザインが人に喜んでいただいたり、こころ響いていただいたりすることを感じて自分も嬉しくて。また頑張ろっという気持ちになるのです。なんだかその繰り返しのような気がします。
ここ5年くらいの間、この世界の仕組みを知りたくてずっと深く旅をしてきました。この現実世界と呼ばれている3次元の物理世界のこと、宇宙のこと、精神のこと、宗教のこと、量子論をはじめとする物理学のこと、あらゆる角度から世界を見てみました。特定の信仰を自身は持っているわけではないけど知識や情報として論理的に分かったことは沢山あり、こころに完全に落ちたと言うかその実感を得てない部分も沢山あるのだけど、ここ最近、それらが「なるほどなぁ」という実感と共に繋がりだしました。
そして分かったこと、とてもシンプルなことでした。
今世界には沢山の問題が溢れています。歴史の中で思想家や哲学者、政治家、宗教家、沢山の賢人が理想とする世界を描いて来た。数千年の時を経て、その目指した世界が今の世の中だとすると、今の状況を見ても分かる通り世界はいっこうに変わっていないのではないだろうか。というより益々悪くなっているのではないかとすら思うのです。
地球温暖化をはじめ様々な環境問題においては、人という種だけの問題ではなく地球上の生きとし生きる全てが関わる問題に迄、たった一つの種である人類が導いてしまった…。「地球にやさしく」とか「地球を守ろう」というECOスローガンをよく聞くけども実のところ、このまま進めば絶対に地球はなくならないけど人類という種はなくなることは簡単に想像できるのです。人が地球を支配しているかのように聞こえてしまうこれらの言葉、実は地球という大きな存在に属するたった一つに種であり、人類もまた地球の一部であることを忘れてはいないだろうか。
環境問題の本当の問題は、唯物論として物質至上主義と資本主義とが一緒になった「エゴ」が肥大化していった先に物欲と支配欲を生み出し、沢山の問題を生み出していったのではないかと思うのです。つまり一人一人の心の問題なのではないかと。外的な何かをするのではなく、まず自身の内側にある問題を解決していくことが環境問題の本質ではないだろうか。
「エゴ」とは何なのだろう?。
常に人は自身と対話しています。四六時中と言ってもいいくらい自分と話ていること、これが「考える」ということなのだと。この自身との対話が実は大きな問題であって、この内的対話こそが人間をエゴに縛り付けている秘密であるのだということなのだとメキシコ北部のシャーマン・ドンファンは言います。
「閃き」
デザインしていくプロセスにおいて、ごく自然にこの「閃き」という感覚を実践して来て仕事と迄させていただいてるこの不思議な感覚を、改めて思い辿ってみると、その「瞬間」というのは「考えている」時ではなく、限りなく「空」の状態である時なのです。つまり何も考えていない瞑想状態とでも言う時にフッと降りてくるのです。それを僕は線にしていっているだけのこと。何か大きな存在に描かせてもらっているような自分であるのだけど自分ではないような不思議な感覚がいつもあるのです。それが「デザイン」となってこの世界に物理的に現れていく。
あたまで「考える」から、こころで「感じる」へ
「閃き」を得ている「空」という状態でのこととは、もっと分かりやすく言えば、何も考えていない自然と一部になっている時、地球や宇宙のリズムに合わせて意識を向けると自然とシンクロ二シティ(意味ある偶然の一致)が起きやすくなります。感覚も冴えてきます。これらを「デザイン」という仕事のことだけではなく、全てにおいて意識をそう向けていくとびっくりするくらい動き出しました。イマジネーションしたことが具現化しやすくなりました。自然の循環のリズムに流れに合わせることが、実現への近道だったのか。なんとシンプルなことなんだ。今更ながら驚きました。
ずっとデザインの仕事をしていて何となく思い感じてたことに「閃き」とは何なのか?ということがあります。建築をはじめ家具やいろいろなデザインの仕事で共通することは全て「無」から「有」へと導いていくことにあります。そこにある自身の想像からの「閃き」フッと突然現れて創造され具現化していく様をずっと不思議に感じて見ていて、そのバランス感覚が感性と呼ばれて、有り難いことにいつの日からかそれがプロとしての仕事になっています。導き出す結果としてのデザインが人に喜んでいただいたり、こころ響いていただいたりすることを感じて自分も嬉しくて。また頑張ろっという気持ちになるのです。なんだかその繰り返しのような気がします。
ここ5年くらいの間、この世界の仕組みを知りたくてずっと深く旅をしてきました。この現実世界と呼ばれている3次元の物理世界のこと、宇宙のこと、精神のこと、宗教のこと、量子論をはじめとする物理学のこと、あらゆる角度から世界を見てみました。特定の信仰を自身は持っているわけではないけど知識や情報として論理的に分かったことは沢山あり、こころに完全に落ちたと言うかその実感を得てない部分も沢山あるのだけど、ここ最近、それらが「なるほどなぁ」という実感と共に繋がりだしました。
そして分かったこと、とてもシンプルなことでした。
今世界には沢山の問題が溢れています。歴史の中で思想家や哲学者、政治家、宗教家、沢山の賢人が理想とする世界を描いて来た。数千年の時を経て、その目指した世界が今の世の中だとすると、今の状況を見ても分かる通り世界はいっこうに変わっていないのではないだろうか。というより益々悪くなっているのではないかとすら思うのです。
地球温暖化をはじめ様々な環境問題においては、人という種だけの問題ではなく地球上の生きとし生きる全てが関わる問題に迄、たった一つの種である人類が導いてしまった…。「地球にやさしく」とか「地球を守ろう」というECOスローガンをよく聞くけども実のところ、このまま進めば絶対に地球はなくならないけど人類という種はなくなることは簡単に想像できるのです。人が地球を支配しているかのように聞こえてしまうこれらの言葉、実は地球という大きな存在に属するたった一つに種であり、人類もまた地球の一部であることを忘れてはいないだろうか。
環境問題の本当の問題は、唯物論として物質至上主義と資本主義とが一緒になった「エゴ」が肥大化していった先に物欲と支配欲を生み出し、沢山の問題を生み出していったのではないかと思うのです。つまり一人一人の心の問題なのではないかと。外的な何かをするのではなく、まず自身の内側にある問題を解決していくことが環境問題の本質ではないだろうか。
「エゴ」とは何なのだろう?。
常に人は自身と対話しています。四六時中と言ってもいいくらい自分と話ていること、これが「考える」ということなのだと。この自身との対話が実は大きな問題であって、この内的対話こそが人間をエゴに縛り付けている秘密であるのだということなのだとメキシコ北部のシャーマン・ドンファンは言います。
「閃き」
デザインしていくプロセスにおいて、ごく自然にこの「閃き」という感覚を実践して来て仕事と迄させていただいてるこの不思議な感覚を、改めて思い辿ってみると、その「瞬間」というのは「考えている」時ではなく、限りなく「空」の状態である時なのです。つまり何も考えていない瞑想状態とでも言う時にフッと降りてくるのです。それを僕は線にしていっているだけのこと。何か大きな存在に描かせてもらっているような自分であるのだけど自分ではないような不思議な感覚がいつもあるのです。それが「デザイン」となってこの世界に物理的に現れていく。
あたまで「考える」から、こころで「感じる」へ
「閃き」を得ている「空」という状態でのこととは、もっと分かりやすく言えば、何も考えていない自然と一部になっている時、地球や宇宙のリズムに合わせて意識を向けると自然とシンクロ二シティ(意味ある偶然の一致)が起きやすくなります。感覚も冴えてきます。これらを「デザイン」という仕事のことだけではなく、全てにおいて意識をそう向けていくとびっくりするくらい動き出しました。イマジネーションしたことが具現化しやすくなりました。自然の循環のリズムに流れに合わせることが、実現への近道だったのか。なんとシンプルなことなんだ。今更ながら驚きました。
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